八重山ミンサー

沖縄の可憐な工芸品「ミンサー織」の歴史

DATE - 2019.6.15
CATEGORY - 沖縄の文化・自然
WRITER - ryukyu writers

沖縄を代表する伝統工芸品のひとつ「ミンサー織」。

近年では、沖縄のお土産としても人気が高く、様々なミンサー織の工芸品を街中で見かけるようになりました。また、観光客に向けた手織り体験などもできる工房などもあり、現在ではミンサー織の全国的な知名度は高まりました。

その昔、中東から中国を経由し伝わった「ミンサー」は、中国語の「綿(ミン)」と「狭(サー)」を表す言葉で、木綿でできた狭い帯を表す言葉が語源です。

また、「ミンサー織」には、「読谷山ミンサー」と「八重山ミンサー」の2種類があり、それぞれ異なるデザインや色合いが特徴になっています。

ロマンテックな想いを込める「八重山ミンサー」

八重山ミンサー

八重山列島に属する石垣市や竹富町に伝わる「八重山ミンサー」は、その模様に込められた想いも古い歴史を物語っています。

八重山ミンサーの最大の特徴は、絣を5つと4つの升で表現したデザインです。通い婚が主流だった当時、愛する男性へ「いつ(五)の世(四)までも末長く通ってください」という想いを込め、この模様を帯に認めて贈ったロマンテックな意味を持ちます。

八重山ミンサー

八重山ミンサーの歴史は古く、16世紀の琉球王朝時代の貴重な文献においては、現在のミンサーの原型となる木綿布を使用していた事が記されているほど。

また、その起源は中東、そして中国を経て、木綿の織物文化が沖縄へ伝わった可能性が高いとされ、アジア諸国を中心に、海外との貿易も盛んに行われていた17世紀~18世紀の交易記録には木綿貿易の記述が残っています。

天然の染料を用いた美しい藍色と、ピュアな思いが込められて作られた男性用の帯「八重山ミンサー」は時代の流れとともに、色合いや様々な用途の物へと変貌を遂げた、八重山地方の歴史を感じることができる逸品です。

八重山ミンサー

村の人々の熱い想いで復活を遂げた「読谷山ミンサー」

読谷村ミンサー

沖縄本島、読谷村の特産品「読谷山ミンサー」は、八重山ミンサー同様、琉球王朝時代の海外交易により伝わった織物のひとつ。

織物の原料として重要な役割を果たす木綿は、琉球王国の産業の基盤を作ったとされる、士族の一人「儀間真常(ぎましんじょう)」が1611年に薩摩から持ち帰ったことがきっかけで、木綿栽培と織物がこの読谷村で行われるようになりました。

時代の流れと共に、読谷山ミンサーは衰退し、明治時代についに途絶えてしまいます。しかし、1964年に染色家や読谷村の人々が、読谷山ミンサーの復活を一念発起し、10年の歳月をかけて復活させた、そんな人々の熱い想いと歴史が詰まったのが、この読谷山ミンサーです。

読谷山ミンサー

読谷山ミンサーの特徴は、幾何学模様を用いた花柄です。30種類にも及ぶ花柄は、銭花(ジンバナ)、風車(カジマヤー)、扇花(オージバナ)の3つの基本の花柄を組み合わせてデザインされます。そんな特徴的な花柄を用いたこの読谷山ミンサーは「花織」とも呼ばれ、華やかな色合いとデザインが魅力です。

読谷山ミンサー

琉球文化の想いや歴史を感じる工芸品

国の伝統工芸品に指定されている「八重山ミンサー」、そして長い歳月をかけて復活を遂げた「読谷山ミンサー」は、沖縄、そして琉球の歴史を誇る一級品です。

織り機で丁寧に作り出される、その模様に込められた想いやデザイン性の高さは、ミンサー織ならでは。約400年以上も前に海外から渡ってきた「男性の帯:ミンサー」は、バッグやポーチ、携帯ケースなど様々な物へと形を変え利用されるようになりました。

ミンサー織が持つ時代背景を感じながら、あなたも触れてみてはいかがでしょうか?

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